日本のお茶の歴史について

日本ですっかり根付いたお茶。

特に日本茶は日本人の心です。生涯で一度も口にしなかったという人はいないでしょう。

さて、今回は趣を変えて「日本においての緑茶の歴史」についてご紹介したいと思います。日本にはどのようにして緑茶文化が根付いたのか。

日本に緑茶が入ってきたのは?

日本にお茶という文化が入ってきたのは700年代~800年代のことです。

お茶の発祥地は「中国南部の雲南省からインドのアッサム地方にかかる山地」という推測的な説が一般的です。厳密にはわかっていないのですが、中国であることは間違いないです。

平安初期の815年にある『日本後記』にお茶に関することが記されており、そこには「嵯峨天皇に大僧都永忠が近江の梵釈寺において茶を煎じて奉った」と記述されています。これが、日本での茶の喫茶に関する最初の記述となっています。

なので、恐らくは700年代~800年代に入ってきたと推測できます。

入ってきたばかりのお茶は非常に貴重で、僧侶や貴族階級などの限られた人々だけが口にすることができました。

この当時は高級品で、嗜好品ではなく用途は解毒薬のようなものでした。しかも日本国内では流行せず、あまり注目を集めることがない品でした。

変化があったのは鎌倉時代でした。

 

変わり始める緑茶

鎌倉時代に入ると、お茶は単なる高級品から変化を見せました。

臨済宗の開祖である「栄西」がお茶を中国(宋)から持ち帰ったのがきっかけです。栄西は、宋へ修行に行き、経典とと共にお茶の種と飲み方を日本に持ち返りました。

栄西はお茶の効用に注目しました。

将軍であった源実朝に献上し、二日酔いに効果があったことでそれまでの日本では流行していなかったお茶が大注目を集めました。

嗜好品と医薬品として流行を見せます。

また、京都の明恵上人が栄西より種子を譲り受け、京都に蒔きました。これが後に宇治抹茶の基礎となります。これによって全国にお茶が広がっていきました。武家の間では宇治抹茶が主流となっていきます。

 

庶民に広がる江戸時代

庶民にお茶が広がったのは江戸時代です。

鎌倉時代から徐々に浸透していたお茶でしたが、安土桃山時代に”茶の湯”が完成します。茶の湯については別の記事で紹介しますが、簡単にいえば「茶の精神」です。

茶といえば有名な千利休ですが、千利休がこちらの茶の湯の完成に大きく貢献しました。

茶の湯は江戸幕府の儀礼に正式に取り入れられ、武家社会にとって必須となりました。それだけではなく、江戸時代には一般庶民の飲料としてのが浸透していました。お茶重要な輸出品として181トンが輸出されました。

武家のほうは抹茶だったのですが、庶民は茶葉を煎じた煎茶です。

時代がさらに進み、完全に定着して楽しまれるようになるのは明治~大正時代に入ってからです。

明治の終わりまでは輸出品で発展してきた日本茶ですが、紅茶の台頭で輸出量は停滞していきます。その代わりに国内の消費が増え、お茶は国内向け嗜好飲料に変わっていきました。庶民の間で大流行したのはこの時期になります。

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